愚痴の愚痴は愚痴


ツイッターで愚痴を長々と、あるいは過激にやるのってかなりダサいと僕は思ってる。自分の価値を下げるだけでなにひとついいことはないよね。
そういう愚痴は下手くそな弾き語りを家の前でだらだらとやられるのに近くて、「まだ下手くそなんだけどちょっと聞いてみてくれよ」ってひとこと言ってからやればまた話は違ってくるのに、みたいな。


まあ要するに、愚痴なんてのは、ちょっと聞いてよーってメールなりチャットなりマックの席なり、どこかクローズドな場所で信頼できる人に聞いてもらうべきものなんじゃないかなと思う。
日頃の付き合い次第だけど、きっと相手もそこまで嫌だとは感じないだろうし、ひょっとすると頼られてよかった役に立ててよかったみたいに思ってくれるかも。
そもそも愚痴がなければそりゃ結構だけど、まあそうもいかないしね。


というようなわけで、僕はひと様の家の前でいきなり弾き語りを始めることのないように、悪くても、通りを歩いている人がちょっと大きな声でしゃべってて少しうざいけど真っ昼間だししょうがない、ぐらいで済むようになるべく気をつけているつもり。



ところで僕は年下にはずっと甘くて、十代の子が僕の家の前の曲がり角で愚痴のブルース弾き語りをしていたら、おひねりのひとつでもあげに行こうかな、という気にさえなるのに、年上の愚痴にはやれやれって思っちゃう。
いい年して空中に愚痴を投げっ放すことの意味もわからないのかとか、愚痴を聞いてくれと頼める関係の人さえいないのか、みたいな。
年上の人にはきっと僕にはわからないような苦労があるんだから、そういうとこももうちょっと寛容になりたい。