僕の嫌いな本


僕は無宗教だけれど、自分に信仰というものがあるとしたらそれは「言葉と言葉でないものを感受して言葉と言葉でないものを発信することがつまるところ全て」というようなものだと思う。
もちろんこれはただの宗教なので誰かに広めるつもりもないけれど。


言葉でないものというのは、表情だとか声の調子だとか絵だとか音楽だとか、まあその類。
このやり取りとその間の思考とが一番楽しくて、これが充実していれば他になにもいらないというような。
宗教というより信条?



ところで言葉には、記録されて編集されるものと、記録されないものの二つがあって、音楽に例えるとスタジオアルバムとライヴのような関係になっていると思う。


人と会話をすることの面白さはこちらの発信に対して個別に返信が返ってくるところで、
ときにはこれが予想外なもので無限の可能性があるようにさえ感じるほど面白い。


では記録されたものに価値はないかというとそんなことはなくて、能力のある人が練りに練った言葉が、
大抵は多くの人による精査と編集を経て、これぞと認められた上で僕らの目にするところとなる。
乱暴な言い方をすれば、精密で深いものが形になって残るということだと思う。


ところが世の中には、少なくとも練られていて精密で深いとは僕には到底思えない本がたくさんある。
そのことが良いか悪いかはさておき、こんなもの読むぐらいなら友だちと馬鹿騒ぎしてる方がよっぽどためになるわ、と思わされるのが僕は嫌いなのだ。
所詮は僕の好みの問題で、記録されたものにはなにがしかの価値がなければいけない、なんてことは別にないのだろうけど。




なんでこんなこといきなり書いたかって、大学の生協に相田みつをも真っ青なポエムが書かれた数ページそこらしかない写真集がたくさん売っててブチギレたからです。
大学の生協だよ?創立220年だよ?フライデーでも並べてた方がいくらかマシだと思ったね。マジな話。