何故彼らはラマーズPに謝らせてしまったか 〜批評をするということ

何故ラマーズPは謝ってしまったか 〜 BEMANIシリーズに参加するということ
http://ankare6th.seesaa.net/article/259475670.html


このエントリを読んでいろいろと思うところがあったので少し書きます。


揚げ足を取ることは簡単だし、あまりくどくどとやることにも生産性があるとも思えないのでざっくりと元エントリについて批判しておくと、一見わかりやすく事態の推移がわかりやすくまとまっているようだけれど、実は非常に主観的であることがなによりの問題だと思います。
『基本的に、曲の良し悪しなんて人それぞれ』と言っておきながら『聞いてすぐ分かるヤバさ』と断言し、Twitter上での音ゲーマーの楽曲や謝罪に対する反応をソースなくまとめてしまい、挙句の果てにはラマーズPの心中やTwitterのアカウントを持っている理由までなんの根拠もなくあっさりと推測してしまう安易さ。
挙げればきりがないですけど、ひと言で言ってしまえば「何様だ」って感じですね。


謝罪騒動は早々にTogetterで非常に恣意的な形でまとめられていましたけど、ソースとなるpostを拾ってまとめている分まだあちらの方が出来がいいようにさえ思います。



そもそもこの「何様だ」ってのは音ゲー界隈全体に対して言えることだとも思ってます。
特にサウンドボルテックスが出てからは顕著ですね。
音ゲームの曲はプレイしてなんぼのものであって、サウンドトラックで聞いたり動画サイトでプレイやMADを見るのはあくまで副次的な楽しみ方だと僕は思ってます(ここに関しては異論もあるでしょうけれど)。
それをプレイもしないで批評したがる方々の多いこと多いこと。


そもそも批評というのはむずかしいものなのです。
この音楽が「なぜいいのか/なぜ悪いのか」を客観的に人に伝えるのはとてもむずかしい。
そして批評というのは批評家としての沽券をかけてすべきものなのです。
例えば、実は名作だったのに酷評してしまいあとからそれを翻すなんてことばかりする人の批評なんて誰も読まないでしょう。
言葉を探す努力もせず立場をはっきりさせもせずにただの感想文を書いて批評家ぶるなんて子どものすることです。


別に僕はそこまで古参ではないのでここからは伝聞や憶測からの私見なのですが、ここ最近の音ゲー界隈には批評家ぶった批判が増えてきているような気がします。
サイモンマンのリミックスに笑ったりすることはあれど、俺の嫁曲になんてことをしてくれたんだなんて批判が飛び交ったという話は僕は聞いたことがありません(もしそういう事実があったらすいません)。
動画サイトやTwitterのおかげで発言の機会が増えたからでしょうか。
なにかあるたびにいちいち自分の好みを押しつけた物言いをする人たちとそれに嫌気が差している人たちの緊張をはらはら見ていて、個人的な感想ではありますけどなんか面倒くさいです。


そもそもサウンドボルテックスはjubeatがそうであったように、今までなかった風を界隈に吹き込もうとしているのですから、ここはひとつ大きな心で見守ってじっくり時間をかけてから判断しませんか。しましょうよ。
いや、ここで僕が言ってもしょうがないのかもしれないですけど。




リミックスやエディットに関してはダンスミュージック周辺の方が音ゲー界隈よりも複雑な問題を抱えながらずっと成熟した議論をしているように思うのですが、脇道にそれすぎてもなんですしそこまで詳しいわけでもないので省きました。
興味がある方はいろいろ調べてみてください。