学食でするべき話


ある大学教授が講義の初回にこう言っていた。
読書感想文教育が馬鹿を作り出している。どんなことでも君の思ったことを言っていい、君の言葉には価値がある、そう勘違いさせる。だがそれは違う。お前の感想なんかお前のお友だち以外にはどうだっていいんだ、そういうのは公の場でやることじゃない。ここでは君たちのくだらない感想は一切いらない。そういうのは友だちと学食でやれ。


読書感想文教育が本当に"馬鹿に勘違いをさせる"役割を担っているかどうかはともかく、僕もこれにはある程度同意できるし、いつどこにいたって常に意識しておくべきことだと思う。僕の感想に価値を見いだすのは僕自身に興味のある人間だけなのだ。
感想そのもので十分に読み手の興味を引くことに成功すればよいけれど、「ヤバイ」や「クソ」のひと言に要約できるレトリックもなにもない文章は僕の友だちにしか通じない。


ネットには教室と学食の明確な境界線はないけれど、いつも自分が学食にいていつも隣で聞いてるのが友だちだとも限らないだろう。
個人的な感想でしかないものを批評のように振りかざすものは愚かであるし、また安易で感情的な言葉は教室を気安い学食に一瞬で変えてしまうこともある(それがよいか悪いかは別として)。
この程度のことには繊細でありたいし、あまりに無神経な人を多少軽蔑するぐらいは構わないと思ってる。