多面体肯定論


ゲーム内での仮想人格はプレイヤーの人格の一部を切り取ったもの。
切り取られたことで選択肢が制限されたが故に、ときには仮想人格がプレイヤーには辿りつけないような先鋭化した答えに至ることもある。




というような問答が出てくる小説を読んだんですよ。問答と言っても問の部分は省いてるものだったんだけど。
小説そのものは少々稚拙で正直そこまで面白くもなかったんだけど、この辺りの感覚はわりと綺麗に表現してたと思う。
僕が普段やってるTwitterやブログなんかの世界ではさてどうだろう。どうでしょうね、と考えていたらちょっと長くなったのでブログに。




最近「ネットからの出会いが怖い時代はもう終わった。今はリアルの方が怖いね、だって腹の底ではなにを考えているか、ブログやTwitterが見れないとわからないじゃないか」というようなRTを見かけた。


僕はなんだか一瞬、「わかる〜」とか言いそうになってしまった。
とかくインターネットは腹の底が見えているような気がしやすい(ここに傍点ふりたい)。
特にTwitter副垢mixiの限定公開日記なんて見れちゃったら、なんかもうその人のこと信じてしまえそうな気がする。
チョロすぎかな?とにかく僕はわりとそういう節がある。


でもインターネットだけ見ていても知らないんだよね、意外と。


旧友とどんな風に騒ぐか、恋人とどう接しているか、怖いおっさんに絡まれたらどうしてるか、なにでどんなオナニーするか、どんな寝顔して寝てるか、叱られたらどうするか、寝起きはどんなか、親戚の子どもの前でどんなお兄さんお姉さんやってるか、とかとか。とか。


おお、おそろしい!
ネットでもリアルでも僕らはお互い知らない秘密ばかり持ったまま付き合っているのであった!!



冗談はさておき、そもそも"腹の底"って言葉がよくない。
「誰でも腹の底には普段見せないなにかが必ずあって、それこそがその人間の本質だ」みたいに聞こえるじゃない。
でも人間、そんな単純なもんではなくてどこが腹でどっちが底だかは自分でもよくわかってないようなもんでしょ。


深いところ浅いところとかそういう二次元的なものじゃなくて、いろんな一面を持っている多面体だと三次元的なものだと思う。
大抵の人は巧拙に差はあれど相手や場に合わせた振る舞いをしていて、使い慣れてくうちにそれが人格の一面みたいになってくるものだと思うけど、
ネットでの人格はさっき挙げたような伝えきれない伝えられない要素が省かれて省かれていて、現実ではそこまで削ぎ落とすことはできないぐらい人格の一面を切り取ってるもんだから、ネットの外ではあまり作られないような一面ができていくってことはあるかもしれない。




ネット人格とか言うと否定的に捉えられがちだけど、これはとても面白いし肯定していいものじゃないかなって僕は思う。
影山くんにはできないことが日高がるせにはできるかもしれない、ってのはちょっと言いすぎかもしれないけど、物語の登場人物が作者の手を離れて一人歩きするように、ネット人格が独自に成長して、一面に過ぎなかった人格のひとつがさらに細かく割れ始めることがあったらおもしろい。



自信のなさから来る人間不信に陥ってるときは、そんな風にありもしない他人の"腹の底"に怯えちゃうものかもしれないけど、
いろんな一面を持っていてしかもそれぞれの境界線が0か1かじゃないところが人と関わることの楽しさのひとつだと思うから、
積極的に腹の底なんぞ知らんというスタンスで積極的に多面体になっていくのが、まあ偉そうな言い方をすれば正解じゃないかと思う。









(あれ、おかしいな。もっとこう、フォロワーをオカズにするとか豪語してる人たちの面白さとかに着地するつもりだったんだけど……)


(筆の赴くまま、もとい指先のフリックするままに壁打ち気分で書いてるとどうにも予定外のところに行き着きやすくてよくない)