ロードサイド文化と3.11と首都直下地震についての感傷的メタノート

まあタイトルの通り、メタノートなんであんまり綺麗にまとまったことも書ける気がしてないし、
そもそもこのブログがメタノートならどこがノートなんだって話ですけど、まあそれは置いといて。





最近、Twitterでちょくちょくそういう話してるけど、最近は若者の地方文化というか郊外文化圏みたいなものへの興味が尽きない。
モータリゼーション、ショッピングモーライゼーションが進んでクソみたいに同じような風景がどこまでも続く地方での、ケータイ小説的リアルみたいなのがとても気になっている。
九州の片田舎で中高生やってた頃の自分にとってなにがリアルだったか、みたいなのを確かめたいっていうノスタルジーというか青春の追憶というかなのかもしれない。
例えて言うなら、都会の高校生は大学生や社会人と同じように徹麻したり始発でコミケ行ったりいろんなことをしているけど、あの頃の僕らにとってそんなのは到底考えられないことだったっていうような感覚を確かめたい。



春休みは帰省するか迷ってたんだけど、免許更新の関係とかで結局帰ることになったのでそこらへん、なんか肌で感じてきたいなって思ってる。
マックとユニクロしまむらとショッピングモールのある国道(本当に全部同じ国道に並んでる)を原付で走って、できちゃった婚したり離婚したり下請けの自動車工場で働いたりしてる同級生の話みたいなのをかき集めてきたい。
例の『ケータイ小説的。』とか宇野常寛の郊外文学論とか、できれば合わせて大江なんかも読みながらの春休みにしたいなーとか。




曖昧な言葉で結んで一区切り、ちょっと話は逸れて震災の話。



このブログにしてもTwitterにしても、3.11については今まであんまり考えてこなかったし、触れないことにしてた。
震災と原発問題に関してのどこまで流言飛語なのかわからないような言説の飛び交いにすっかり疲れていて。


でも300日近く経ってようやくひと呼吸おけたかなって感じで、3.11以前と以降で僕らの意識のなにが変わったか、みたいなところを中心に考え始めてる。
おそらく就活というものを中心、あるいは象徴として、時間的あるいは世代的な幅を持ちながら若い人の間にどうしようもない疲弊感というか徒労感とみたいなものがある、と僕は半ば確信しているのだけど、その感覚に3.11はどういう石を投じたかっていう問題は避けて通れなくなってくるだろうってことに遅ればせながら気づいた次第です。
この“未来に見放された”あるいは“きっと何者にもなれない”とでも言うべき感覚を打開できるのか、どう対峙していくかっていう最近の僕のテーマにも大いに関わることだと思うし。



そして僕の地元、九州は地理的にも震災原発の影響や就活文化圏からも遠いわけだけど、そこらへんの感覚にどういう違いがあるのかっていうのも同時に考えていきたい。
例えば3.11から2ヶ月経ってから、「でかい地震あったんやろ?大丈夫か?」とか電話してきた地元の友人がいたりもしたし。
首都直下型地震については最近いろいろと予想されてるけど、予想の信頼性とかはまあ素人が考えたって仕方ないので置いとくにしても、3.11を経験してしまった以上は再考する必要があるなとは思ってる。


「僕がどこかに逃げてもどうせ友だち知り合い親戚が無傷ってことはないだろうし僕自身は自分の生き死ににそこまで執着もないのでどこか遠くへ逃げるという選択にはあまり意味がない」ってのが昔の僕の持論だったんだけど、
いまや僕は震災のもたらす物理的社会的、そしてなにより精神的な影響力の大きさを知ってしまったので、お前それサバンナでも同じこと言えんのって言われたら、言えないと答えるしかない。
地元に帰ってなんとか暮らしていくっていう選択肢が、3.11以降の僕にとってそれなりの強度を持ったものになっているっていうことに気づいてしまったわけですね。


今のところ地元で就職するとか、そこまで差し迫って具体的なことを考えているわけじゃないんだけれど、この感覚の変化は注意深く意識しておきたい。
上京してから5年近くが経ってようやく故郷という概念がわかってきたような気もするし。




そんなわけで、震災を中心にしながら我々の未来のことと僕の将来のことを並行して考えていかないとね、足りない脳みそで考えてるつもりだよっていう覚書。